「メイド・イン・村上春樹」検定(2)村上春樹でも最初の米国デビューは、あまり、うまくいかなかった!!
世界の50以上の言語に翻訳されているといわれる村上春樹の作品。もし、ノーベル賞をとれたら、その要因のひとつに翻訳言語数の多さがあげられるだろう。
そんな村上でも日本の出版社による米国への上陸は、作品の評価は高かったものの販売では苦しむ結果となった。
拙著「メイド・イン・村上春樹」でも、触れているが
メイド・イン・村上春樹 | 田村道雄 |本 | 通販 | Amazon
1989年「羊をめぐる冒険」の英語版「A WILD SHEEP CHASE」が、講談社の米国法人より出版された。
しかし、書評などでは好意的な受け止めをされたものの、初版の冊数を販売クリアするのに苦労した結果となった。
村上作品は、米国の作家の方法論をとりいれてながら、村上のオリジナリティを付け加えて出来上がってきた。それだけに、米国で受け入れられるかどうかが彼自身の大きな課題になっていたと思えます。
日本であれば、日本の大手出版社は、雑誌も出している。また、作品の知名度をあげるメディアとの付き合いもできるというパワーを持っている。しかし、米国においては、持続的にその力を発揮できない。
村上春樹は、それを受けて、米国の出版社による出版を考え始めた。
村上春樹は、米国での出版に関して、それがヨーロッパを中心にした世界への輸出につながるとまでは考えていなっかと思われるが、結果として翻訳される言語数は増えていった。
しかし、その3年前に、実業界の日本人が米国の出版社より本を出すことが、世界的なヒットにつがると言って実現した人物がいた?
それは誰?
②盛田昭夫
答えは、動画で↓